Canon EOS 50D SIGMA AF 17-70mm f/2.8-4 DC HSM OS macro
「ロードバイクとベル」は必ず荒れる議題
自分は、ロードバイクにはベルを装備しています。
また、必要と感じた時は歩行者に対してベルを鳴らすこともあります。
必要性や法律の有無ではなく、それが”正しい”と考えているからです。
さて、周りを見渡してみるとどうでしょうか。
「ロードバイクにベルとかかっこ悪いし、第一必要性が無い。」
「ロードバイクにベルは必要不可欠!だって法律で決まってるでしょ?」
「いや、自転車にベルを付ける事は法律で規定されていないよ?」
「むしろ歩行者や自転車にベルを鳴らすのは法律違反だ!」
「法律云々ではなく、ベルの装備はルールだ!」
「ベルを着けずにロードバイクで走行するなんてモラル違反だ!」
等など・・・。
必ず荒れに荒れ、決してまとまることのない議論です。
それは何故でしょうか。
”法律と慣習”&”必要性とモラル”が交錯するグレーゾーン
このように議論が荒れ、不毛な口論に発展するのは
個々人が法律、慣習、必要性、モラルのどちらを重視するか異なるために他なりません。
各々に大きな隔たりが生まれ、どんなに説得しても納得することはありません。
ルールやモラルを柱にしても相手の心には届かない
自転車といえば
- 車道端を走らないこと
- 右折時の行動
- 信号無視
- ブレーキの有無
が特別問題視されます。これらは法律に反する上、モラルに反するからです。
しかし、いくらそうした指摘を行っても、改めない人が居ることが現実。
それはベル装備の有無と同様です。
”必要ないから”、”カッコ悪いから”、”別に他の人が困るわけじゃないから”
等という持論が法律を否定します。
そういった人にルールやモラルで説教してもナンセンスです。
ペナルティが与えられない限り考えを変えさせることは難しいでしょう。
法律上、ベルは歩行者や車両に鳴らしてはいけない
道路交通法上の警音器の規定の核、第54条
第54条
車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合においては、警音器を鳴らさなければならない。左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上で道路標識等により指定された場所を通行しようとするとき。
山地部の道路その他曲折が多い道路について道路標識等により指定された区間における左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上を通行しようとするとき。
車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。
一般に、この”警音器”について車と自転車の警音器は法律上同等のものと解釈されています。
”危険を防止するためやむを得ないとき”は鳴らしても良いということになっています。
しかし、ここで言う”危険”とは一体どのラインなのか、明確な決まりありません。そして自転車で走行中、歩行者等と接触するような危険な場合は、ベルを鳴らすより先に回避行動を取るのが現実です。
”歩行者優先”というルールとモラル
自転車に乗っている時、ベルを鳴らす対象は殆ど歩行者に対してです。
しかしそれは自転車のスピードが歩行者に勝るため、進路を得るため仕方なく。という形です。
これは自転車が進路を確保するために歩行者に道を譲らせるという、歩行者優先に反するものです。
よって法律上の「危険を防止するため」に当てはまらないため、違反になるという解釈になります。
自転車側の都合を歩行者に押し付けてはいけないというモラルにも反します。
以上の事柄から
「ベルは鳴らしてはいけない物」
「ベル鳴らす場面なんて自転車には殆ど無い」
⇒「ベルの必要性なんて無いじゃないか」
⇒⇒「ベルは付けなくても大丈夫」
という合理的な考えを形成します。気持ちは充分理解できます。
付けても使うことのない装備ほど無駄なものは無いですからね。
慣習として、ベルは歩行者に向けて鳴らされる
法律上はベルを歩行者に対して鳴らすことは原則違反となっていますが、周知されていません。
そして慣習として、自転車の走行中、歩行者に対してベルは鳴らされています。
狭い道、歩行者を追い抜く時
前をよっぱらいが歩いていて追い抜くのが危ない時
横並びに歩いているルール(モラル)違反な歩行者を警告する、等
自転車に乗っていて、歩行者にベルを鳴らした事のない人はまず居ないでしょう。
また、自転車で走行中、「歩行者優先だから」と停車したり、スピードを著しく下げることは人間の心理上難しいです。特にクリートでペダルと固定したロードバイクでは尚更。
ベル
を装備している人はベルを鳴らしたり、声をかけます。
また、法律上の警音器の仕様規定を順守している人でも、ベル以外の方法で存在を示そうとします。
例えば、ブレーキ音や、ラチェット音。
結果、歩行者に悪印象を与える結果につながることもあるようです。
こうした背景から、法律上の規定はあっても、ベルを鳴らすことある。という主張が生まれます。
慣習は時として慣例として扱われ、ある程度の効力を持ち得ることがあります。
実は法律上、ベルの取り付けは定められている
第54条の規定義務を満たすために、ベルの取り付けは必要不可欠
ここで多くの方が見落としている事。
それは「第54条を満たすためにはベルを取り付けなくてはならない」ということです。
第54条で規定されている場面で警音器を鳴らす事が出来ない自転車は、その時点で法律違反という解釈になります。つまり違反車両です。
まるで屁理屈です。しかし、これが法律解釈というものです。
これら細かな法律も、あやふやな憲法解釈から生まれています。
但し、警音器を装備していない自転車の公道上運転を禁止する文章はありません。
実は都道府県ごとに道路交通法は細かく補完されている
例えば埼玉県は道路交通法施行細則でこのように定めています。
自転車にはベル(法令用語では警音器)を取付けなければいけません。(埼玉県道路交通法施行細則第10条第2号。罰則:5万円以下の罰金)
特にロードバイク/ロードレーサーなどのスポーツ用自転車の場合、購入時には標準装備されていないことが多いので、道路を走る場合は自分で取り付けることが必要です。埼玉県道路交通法施行細則(自転車関係)について
―https://www.pref.saitama.lg.jp/a0311/jikotoujisya/saitamakendoukouhousaisoku.html#bell
これには寝耳に水なロード乗りも多いはず。
道路交通法の抜け目を問題視する行政はしっかりと補完することで対策をしています。
自転車の”ベル”とはどういう存在なのか
法律上”取り付けが定められている”が、原則”鳴らしてはいけない”
誰もが人間です。
流石に「なんでや!」と思わずにはいられません。
しかし、ベルの議論が起こると必ず両者の主張の柱になる法律は、このように定めているのです。
一方で慣習としてはベルは対人に鳴らされることが社会に浸透しています。
非常に扱いづらいですね。
ベルの有無が何故、取り締まりされないのか
様々な理由が挙げられます。
例えば、ベルの有無が事故に直結したと証明された事例が少ないことや自転車において圧倒的にライトの有無が重要性で勝ること、等など。
特に前者は大きな要因となります。前述した通り、自転車が歩行者と接触しそうになった時、ベルを鳴らすよりも回避行動を取るからです。また、高速で走行するロードバイクにベルが取り付けられているか見抜くことはライトよりもずっと難しいということでしょう。
新たに”損得”という観点をプラスする
ベルの有無が保険の適用に影響する可能性
事故にあった際、保険によって支払われる金額が高額なほど審査は厳しくなります。
ベルの取り付けが無いことは違反車両であり、適用に影響する可能性があります。
しかし現状、ほとんどの事故が示談で処理されることや、ベルの取り付けが簡単に出来てしまうこと。そして書類上にベルの有無が記録される事が少ないため保険適応に影響した事例は少ないようです。
記録がない=規定違反が無いと見做されるからです。
示談において不利になる可能性
もし仮に自分が他のロード乗りに追突されたとします。
相手の自転車にベルが付いていなければ、自分は細かく写真を取り、記録します。
事故証明の際立ち会う警察にも確認して記録してもらいます。
後の示談の際、両者の過失割合を定める際、ベルの不備を指摘します。
相手が違反車両であれば、こちらに有利に事が運ぶ可能性はあるでしょう。追突が起こった事実から、「危険があり、ベルを鳴らす必要があった」や、「整備不良」「違反車両」とも主張できるからです。
民事・刑事上の責任を問われた際、不利になる可能性
同様の理由から、民事、刑事上の責任を問われた際、不利になる可能性があります。
相手の当事者、あるいは保険屋、弁護士に、指摘される事が考えられるからです。
これらはあくまでも可能性です。
しかし法律やモラルを抜きにして、損得感情からベルを装備する価値は、充分にあると考えます。
損得の観点からベルの装備を考える事は、頑固な思考を変化させるのに影響します。
馬の耳に念仏
先日、ツイッター上でこんなことがありました。
このやり取りの後も、当事者は「ベルは必要ない」というスタンスを変えることはありませんでした。
彼にとっては、取り付けない事で被るデメリットよりも、取り付けることで被るデメリットが勝ったのでしょう。
どんなに理論やモラルを重ねても、自分が”正しい”と思ったことを曲げる人は少ないものです。
個々に説得する事は相手からしてみれば質の悪い宗教の勧誘と殆ど変わらないのです。
往々として説得を続ければ続けるほど、意地になります。止めましょう。
執拗な説得は行わない方が両者のためでもあります。
理論を積み上げて感情で否定することは間違っています。
ロード乗りとして堂々と「ルール守ってます!」と言うために
やはりベルは取り付けなくてはならない
道路交通法第54条がベルの取り付けを定めている以上、ベルの取り付けは不可避です。
ベルを取り付けていない自転車は、ブレーキが無い自転車同様、違反車両になります。
もちろんその悪質性においてはブレーキ無し車両に劣ります。
ですがルール違反であることを否定する根拠を見つけることは難しいでしょう。
紳士的でありたいなら、取り付けの是非と使用の是非は分けて考える
現行の法律では、自転車とベルに関する決まりには穴があります。
人間ですから、その穴に文句を言うことは致し方ありません。
ですが現行の法律に穴があろうと定められたルールに従うのが正しいことだと、自分は考えます。
何よりベルの取り付けの是非と、使用の是非は分けて考えるべきでしょう。
ベルの使用は定められた法律と慣習に隔たりがあります。
何が正しいか、どちらに重きを置いて判断する事も大人として必要なことだと考えています。
おすすめのベル
Canon EOS 50D SIGMA AF 17-70mm f/2.8-4 DC HSM OS macro
自分はCATEYE OH-2400を使用しています。
超小型ベルで、ハンドルやシートポスト、ブラケットに装着出来るなど非常に使い勝手が良いです。
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